【第一話】多感な中高生時代 悩みは学ランの肩元に落ちる頭からの粉

小さいころからアトピー体質で、幼年期にぜんそくを患ったりして、決して体が強い子供ではありませんでした。

 

中学は市立中学で、生まれ育った地元の学校に通った。運動も勉強も、普通。特に抜きに出るものになければ、足りないものも無く、どこにでもいる子だったと思う。

 

年子の姉が居たので、学校の先生や先輩からもよく声をかけられ、社交的な性格と真面目な所から、友達もわりと多かった。

 

小学校4年の時に、「体が弱いから鍛えるために」という事で、地元の柔道少年団に通っていたので、中学の部活も柔道をすることになった。

 

本当はバスケットがしたかったのだが、部活体験の帰りに少年団時代の先輩に会い「おい、仮入部、出しといたから」っと言われて、断れる雰囲気ではなかった。

 

3年間の中学生活は楽しかった。

 

アトピー関係で悩みがあるとしたら、ヒザやヒジ、足の付け根(そけい部)に湿疹が出て痒い時があったり、首元や頭皮がかゆくて、掻くと皮膚が粉となって落ちたので、かっこ悪かった。

 

女子もいるし不潔っぽくて嫌われないか気になった。

 

高校は工業高校に進んだ。

 

私がアトピーで本格的に悩むようになったのは、高校生の時だった気がする。男子は学ランだったので、相変わらず上着の肩にフケのように皮膚の粉が乗るようになったのが気になって、いつも肩元をポンポン叩いていた。

 

友達は、私が肩コリとか肩を叩くのがクセだと思っていたようだ。だから、夏服の時は、半そでのカッターシャツだったので、粉を気にせずに良かったから、嬉しかった。

 

もちろん、夏場になると乾燥に悩むことは無かったので、俗にいう「アトピーは冬の乾燥に弱い」に当てはまるレベルだった気がする。

 

乾燥がヒドイ時は、体育の前に体操服に着替える時、学ランのズボン脱いだら足全体のカサカサがボロボロ、粉として落ちるのを見て、

 

「乾燥がひどいなぁ。きたねぇなぁ」って思っていた。だから冬が嫌いだった。

 

高校を卒業する段階で、成績上位では無かった私ですが、同級生たちは皆就職したい人ばかりであったので、無名の大学ではありましたが、推薦枠が余っていたので、おこぼれで大学に行ける事になった。

 

大学生というのは、生活のリズムも狂い気味になる。

 

遊ぶ金が欲しいので、学校が終わってからバイトに行った。バイトが終わってから夜通しマージャンをしたり、ドライブに行ったり、飲み歩いたり。

 

卒業さえすればと思い、単位をギリギリのレベルで取っていくだけで過ごした。中学や高校の時よりも、自分の好き嫌いを解りあえて話し合える仲間が出来た。

 

ただ、体は正直に反応した。

「おい、顔、めちゃくちゃ赤いぞ。熱あるんじゃねーの?」

そう最初に気をかけてくれたのは、今でも仲の良い友人だった。

 

だんだん、朝起きれなくなり、授業にも遅れた。遊んでばっかりいるから授業にも間に合わないんだぞ!と言って怒っていた先生ですら、

 

「お、おい、大丈夫か。調子わるそうだな。」と心配される位にアトピーが悪化していた。

 

アトピーの症状は全身に出始めていた。体が、中から燃えるように熱い。そして、ムズムズと痒い。なんだか、イライラして、何事にも集中できない。

 

そんな不安を感じながらも、友達の協力や、先生の理解もあって、無事に卒業することが出来た。

 

技術系の大学だったので専門性も強く、在学中の早い時期から内定をもらっていたので、4月からは晴れて社会人1年生だが、この時自分の身にこれ以上の事が起こる事は予想していなかった。

 

第二話 本格的なアトピー発症 社会人1年目の私 入社4日目にして休職・半年して復帰するも働けず退職